内閣府は、去る2022年12月6日、「日本学術会議の在り方についての方針」(以下、「方針」)を、また同12月21日に「日本学術会議の在り方について(具体化検討案)」を発表し、1月23日招集の通常国会に日本学術会議の「改革」に関連する法案を提出する意向を示している。この内閣府の「方針」に対して日本学術会議は、そもそもすでに学術会議が独自に改革を進めており法改正の必要な理由が示されていないことや、会員選考のルールや過程に関与するものとして提起されている第三者委員会の仕組みは、学術会議の自律的かつ独立した会員選考への介入のおそれがあること等6項目の懸念を指摘し、「再考を求めます」との声明を第186回総会(12月21日)で採択した。
日本科学史学会は、2023年1月22日開催の全体委員会で、学術会議の声明に賛同するとともに、内閣府の日本学術会議改革案には大きな問題点があると表明することで一致した。
科学史・技術史研究者がとりわけ危惧するのは、内閣府「方針」が、「政府等と問題意識や時間軸等を共有する」ことを求めている点である。「問題意識や時間軸を共有する」とは日本学術会議に政府と同じように考えることを要求するものである。いわば政府の仕事の下請け化である。これが何を意味するかは、歴史が示し、日本国民は思い知ったはずである。かつて、第2次大戦時下、時の政府と問題意識を「共有した」結果、科学者技術者は軍事研究にいそしみ、戦争に参加した。その結果は、戦争による惨禍と世界の科学・技術水準からの大幅な遅れ、非人道的兵器の開発だけでなく,多数の人命喪失に手を貸すこととなった。戦後、法的に政府から独立した科学者組織として日本学術会議をつくり、憲法第23条の学問の自由とともに日本科学再建に踏み出した。戦時下の経験は、国民的な歴史財産であるが、それは科学者技術者にとっても同じである。
科学が国民的あるいは全人類的意義を全うするには、時の社会的課題に向き合わなければならないことは当然のことである。現在でも、日本学術会議は原発や環境問題など、科学の直面する社会的諸問題に取り組んでおり、政府との間でも政府の諮問に対して遅滞なく答申してきている。しかし、科学者には短期的視野の政府と共有できる問題と、共有しがたい長期的視野、科学の論理がある。科学者や科学者組織の独立性がなく、学問の自由が保障されなければ、科学は窒息させられ、政府の顔色をうかがうだけの短期的で貧弱なものとなり、多面性を切り開く科学の本来的な力を社会で発揮させることはできない。科学の自由な活動、学問の自由、科学者組織の独立が社会にとって必要なことは、日本の歴史だけでなく世界的にも人類が経験してきたことである。学者組織の独立性は、今日の国際標準である。
「方針」には第5項で、会員等の選考に会員以外の第三者の参画を求めている。第三者の選び方次第で学術会議の独立性を大きく損ない、また運営も科学以外の力によって歪められることになりかねないことは明白である。歪められた科学や科学組織が、科学の論理を発揮し、広く公共の福祉や社会問題、豊かな国民生活へ寄与することは期待しがたい。さらに科学・技術研究自身の発達すら歪めかねない。
「方針」は、会員等の選考の「高い透明性の下で厳格な選考プロセス」とか、「バランスの確保」を強調している。しかし、菅元首相が一昨年、法に反して行った会員候補6名の「任命拒否」について、政府はその任命拒否の理由を未だにいっさい明らかにしていない。この任命拒否には、日本の歴史上かつてなく多数の学協会、科学者研究者が抗議声明を発したが、この多数の声を政府は真摯に聞こうとしていない。今回、日本学術会議改革関連法案を提出するならば、それは学術会議への政治的介入、みずからの「隠蔽」を正当化しようとするものであろう。自らの行為には隠蔽と強引な権力行使と、他者には透明性を要求するというこうした政府のやり方は,矛盾以外の何物でもなく、不誠実という言葉以外に何物も当てはまらない。政府は、自ら犯した不法行為の隠蔽ではなく、科学行政、そして科学者や国民に真摯に向き合うべきである。
「方針」の内容を持つ法案が国会に提出されるとするならば、今後の日本の科学の危機となるばかりか,基本的人権を含む憲法も危機となり,日本国民をも危機に陥れるであろう。改めて、政府方針に対する日本学術会議の声明と立場を支持し、政府は学術会議と真摯に対話することを求めるものである。
2023年1月23日
日本科学史学会会長 木本忠昭