日本科学史学会会長 木本忠昭
2025年2月4 日
昨年12月20日、政府設置の「日本学術会議の在り方に関する有識者懇談会」は「世界最高のナショナルアカデミーを目指して」なる最終報告書(以下「報告書」)を出し、日本学術会議は、そのわずか2日後に臨時総会を開催、「報告書」の改革案に対して政府の財政支援があることを根拠にする肯定的意見と共に、独立性は不可欠で監事と評価委員の大臣任命は認められないという反対意見が出された。しかし、光石学術会議会長は、「報告書」改革案議論には「一定の意義がある。日本学術会議のこれまでの主張・・・点は反映されていない点もある」が、「今後法制化過程でさらなる検討の余地がある」とする会長談話を発表(22日、総会開催日)し、現在日本学術会議執行部は政府と法人化の協議を試みているとみられる。
日本科学史学会は、科学の歴史を研究し、また今後の科学の在り方や科学政策、科学と社会との関係にも強い関心をもつ多くの会員を有するところから、日本学術会議の歴史や、その在り方、そして現在の改革動向にも強い関心を持つものである。事実、日本学術会議は後述するように、戦後日本の科学の復興と発展に大きな影響を及ぼし、重大な役割を果たしてきた。その在り方次第によっては、今後も日本の科学の発展の仕方に大きな影響をもつと考えられる。
日本学術会議(以下「学術会議))は、1984年までの会員直接選挙制から、翌1985年(第13期)からの学協会基盤の推薦選考制、2005年(第20期)からのコ・オプテーション(現会員による新会員の推薦と選考方式)と、2度の大きな改革を経て現在に至っているが、そのいずれの改革を通じても、共通して維持されてきたのが、政府からの独立性であった。2005年改革でも、法的には会員は首相任命となっているが、これは形式的なものであり、学術会議側が選出した会員候補を、学術会議の独立性を損なわないよう首相がそのまま任命することが、立法時に担当大臣からも繰り返し説明されている。
この独立性によって、日本学術会議は自律性をもち、学問の自由をまもり、敗戦後の困難な社会状況の中からの平和的再建、共同研究施設の設置や、原子力平和利用の指針、大学改革関連の多くの提言、科学の軍事利用拒否、独自の科学者国際交流などで大きな役割を果たすことができた。だが、2020年に当時の菅政権が6 人の会員候補に対して任命拒否を行い、これは重大事として国内外の研究者コミュニティから批判を浴びた。1000余りの学協会からの批判や任命要請の声明、法政大学・東京大学・一橋大学などの学長や大学関係機関・関係者の声明が発せられた。日本弁護士連合会と全国の殆どの弁護士会も声明を発した(芦名他『学問と政治』p9)。法学者からの反応も強かったのは、アカデミーの独立性は日本国憲法第23 条が規定する「学問の自由」の最上位の段階を示すとの理解が一般的であるからである。
今回の「報告書」改革案は、表面的には独立性や自律性の重要性やコ・オプテーションの維持などを謳い、一見したところ、任命拒否で受けた各界からの批判や、学術会議の主張を考慮しているようにみえる。だが、詳細を確認するとそうとは言い切れない。むしろこの改革案が実施されれば、学術会議は大きく変質し、その結果は「報告書」の言う「世界最高のナショナルアカデミー」などからはほど遠い、時の政治に追随する行政的組織に成り下がるという懸念を強く持たざるを得ないのである。
学術会議が戦後一貫して維持してきた独立性と自律性を捨てかねない重大な問題を提示されて僅か2日の期間で十分な検討が学術会議総体でなされたものか懸念せざるをえない。
「報告書」改革案の大きな問題点は次のような点にある。まず、活動的には「ボトムアップ」の活動を排し、中期目標を定めさせ、その運営の評価と監査を行う委員を学術会議の外部から政府が任命する(監事は首相任命、評価委員会は大臣任命。いずれも法定。)という仕組みである。これを「報告書」改革案は、国が財政支援を行う以上合理性があるとするが、このような仕組みは、明らかに学術会議の活動の独立性を脅かすものであり、多くの地方国立大学を貧困状態に追い込んだ大学独立法人化政策を彷彿とさせるものがある。大学の自治・大学の自由の強化を標榜した大学独立法人化は、中期計画を立てさせる仕組みでより政府の意に沿いやすく、政府の大学格差政策と相俟って今日地方大学は無残な貧困状態にあり、総体として日本の大学水準は落ち込んだ。
同様に、今回の学術会議改革案でも立案させられる中期的な活動方針が、予算請求の根拠及び評価・監査の基準となり、「運営助言委員会及び評価委員会の意見を聴くことが担保される」仕組みによって、学術会議の活動は政府のコントロール下に置かれ、その自律性は損なわれるという危惧は払拭することはできない。そのような学術会議の活動からは、短期的な政治的経済的政策の制約から免れ、長期的人類史的視点に立った客観的な分析という科学者独自の特性を発揮することはできまい。
改革案のもう一つの大きな問題点は、会員選出方法の大幅な変更である。改革案によれば、会員選考方針は、外部意見を聴くことが法定で担保されるとある。というのも、会長任命ではあるが会員以外の委員を含む選考助言委員会を設ける仕組みだからである。この外部意見は相当強力な(作用機序)しかけ・からくりとなろう。つまりは、外部意見を強く反映する選考方針によって現行の学術中心の選考基準は「特別な選考方法でvery best の観点からオープンかつ慎重に幅広く」(第15 回日本学術会議の在り方に関する有識者懇談会配布資料10、令和6年12 月18 日)という政府の意を汲んだ、特定課題を志向する「ミッション型の選考」を行うという。
2026年に立ち上がる法人化された日本学術会議には、誰が選ぶ主体となるのかは最終報告書には明示されていないが、新規増員の会員だけでなく全領域の全体の会員をこの方針で選び、このプロセスを経ない会員は、残存任期は残れるものの、「爾後の会員選考に係るコ・オプテーションには参加しない」(「報告書」p. 19)とする。つまり、新生の法人化設立時における何らかのスクリーニングを経ない会員には次期会員選考に関わらせないという方針がはっきりと表明されている。このような選考が実施されれば、法人化自体が一部の会員を実質上任命拒否に等しい状態に追い込むために利用されかねない。こうして、政府は2020年までは憲法や学術会議関連法を無視して新期会員の任命を個別的に干渉しようとしていたのが、今や個々の会員を個別に任命拒否をするのではなく会員全体を選び直し、学術会議を総体的に変質させようというのが今回の改革案の究極の狙いであることが明らかとなろう。さらに、現行のコ・オプテーション制度には散々文句を言いながら、外部意見を入れた選考方針でスクリーニングされたあとの新期二期目以降の会員選考をコ・オプテーションで行うことには問題はないと理由もなく言う。ここには会員をスクリーニングするという意図が露骨に示されている。
こうして、リセットされた学術会議は、その表面的な主張とは裏腹に、これまで学術会議が大事にしてきた独立性と自律性を大きく損なって、例えば「総合科学技術・イノベーション会議」の下請的機関に成り下がるのではないかという懸念を強く持たざるを得ない。これでは、とても世界最高のナショナルアカデミーにはなりえないであろう。
人類史的視野からの科学の発展、社会福祉・環境・人間尊重の立場からの科学と社会との相互関係の構築に寄与しうるナショナルアカデミーを創るには、「報告書」改革案のような見せかけではなく、真の独立性と自律性をもつ科学者組織が求められることを直視するよう、強く訴えるものである。
過去には、政治からの独立や自律性の不十分さから、いわゆる「原子力ムラ」や原子力「安全神話」、そして新型コロナウイルス対策でも、科学者の関与形態など科学者の倫理問題が問われる歴史を経験したことも忘れるわけにはいかない。科学が短期的視野の政治に負ければ、感染者の増加の一因にもなり、国民被害は増大しかねない。今後、大地震の到来や激化する気候変動等のなかで科学と政治の問題はますます密接に、かつ深刻になることが考えられる。科学組織が独立性を保ちながら適切な助言機能を持つか、政治の婢になる形で奉仕するかは、大きな分かれ道である。政治的に左右され続ければ、科学研究に不可欠な自由で多様な、批判的な意見を排除しかねず、それは中長期的に見れば社会的に有意義な助言ができないばかりか、科学自身の発展をも制約することになろう。科学は日本の人びとはもとより全人類のためにあることを今こそ銘記しなければならない。過去の失敗の歴史を繰り返さないためにも、時の政治に左右されず自律的な活動を展開し、日本社会と世界に寄与しうる学術会議であることを強く望むものである。
(注:本声明は日本科学史学会全体委員会の意を受けたものである)