日本の科学者・技術者シリーズ企画展
渋川春海没後300年「渋川春海と江戸時代の天文学者たち」
会期:2015年12月19日(土)-2016年3月6日(日)
会場:国立科学博物館 日本館1階企画展示室
(JR「上野駅」公園口から徒歩5分)
主催:国立科学博物館
後援:日本天文学会,日本科学史学会
URL:http://www.kahaku.go.jp/event/2015/12shibukawa/
企画概要
今年は日本で最初の天文学者ともいわれる渋川春海
(1639-1715)がなくなって300年にあたります.渋川春
海は自らの天体観測に基づいた日本で初めての独自の
暦を作成し,平安時代から800年以上用いられ狂いの生
じていた暦を新しくして,幕府の初代天文方に任命さ
れました.
本展ではさまざまな努力のすえに改暦を行った渋川
春海の業績,人物像とともに,その流れを継ぐ江戸時
代中後期の天文学者たちについて紹介します.
展示構成
1.渋川春海とその時代
1-1 天文学者 渋川春海
江戸時代以前の日本は,中国の天文学を基本として
いました.渋川春海は夜空の星を実際に観測し,その
上に独自の天文学を築いていきました.彼が製作した
一連の星図や天球儀を見るとそのようすを知ることが
できます.貴重なそれらの資料をもとに彼が築いた天
文学の世界を紹介します.
1-2 日本の暦と渋川春海
渋川春海が改暦に取り組むまでは,平安時代に採用
された中国の暦が800年以上そのまま用いられており,
長年の間に積み重なったそのずれは大きな問題となっ
てきていました.その問題の解決に挑んだのが渋川春
海であり,彼が天体観測を行ったのはそのことが理由
渋川春海が改暦に取り組むまでは,平安時代に採用
された中国の暦が800年以上そのまま用いられ,
長年積み重なったずれが大きな問題となっ
ていました.その問題の解決に挑んだのが渋川春
海で,彼が天体観測を行ったのはそのことが理由
の一つでした.彼の最大の業績である日本独自の暦の
作成について,その過程とあわせて紹介します.
1-3 渋川春海ってどんな人?
渋川春海はもともとは碁打ち(二世安井算哲)であり,
神道や朱子学も深く学んでいました.その関係から保
科正之,徳川光圀といった人々との親交が生まれ,改
暦の事業にも大きな力となりました.ここでは渋川春
海の人物像や人間関係に焦点をあてて紹介します.
2.天文学者 徳川吉宗
享保の改革などで有名な徳川幕府八代将軍(1684-1751)
は科学技術に関心が高く,禁書令を緩和するだけでな
く,天体望遠鏡や天文台を作り,自身も天体観測を行
っていたことが知られています.近年発見された関連
史料とともに,江戸時代に用いられていた観測機器や
天文台について紹介します.
3.高橋至時と市井の天文学者たち
江戸時代中期の市民の文化水準の高さを示す証しの
一つとして,大坂の天文学者たちの存在があります.
公の仕事とは関係なく自らの興味から天文学を研究し
ていた彼らは幕府に招かれ,江戸時代の天文学を大き
く発展させました.有名な伊能忠敬の業績も,彼らの
指導があって成し遂げられたものです.
4.高橋景保と渋川景佑
高橋至時(1764-1804)の子,高橋景保(1785-1829)と
渋川景佑(1787-1856?)の兄弟は,江戸時代の後期,蛮
書和解御用を設け,西洋の天文学の知識を取り入れて,
もっとも進化した太陰太陽暦を作りました.彼らの業
績と,その後明治維新から太陽暦採用に至る流れにつ
いて紹介します.
一般講演会を下記の日時に開催します.会場は日本
館2階講堂,定員は100名です.申込み方法等,詳細は
国立科学博物館ホームページhttp://www.kahaku.go.jp/
をご覧ください.
2016年2月6日(土)
13:30-15:00 江戸の天文暦学者 澁川春海の学問と思想
川和田 晶子(広島大学)
15:15-16:15 西洋天文学の流入と幕府天文方
嘉数 次人(大阪市立科学館)